特別授業「—この時代のアートとヒューマニティを考える—」

伊集院史朗 先⽣ 特別授業
(2026 年 7 ⽉ 1 ⽇ 5 限)
学習院⼤学 国際⽂化交流学部

—この時代のアートとヒューマニティを考える—
Flamenco: Art for Humanity in Our Time

今回の特別授業では、⽇本フラメンコ協会で専務理事を務められ、主宰するスタジオで後進の指導に携わりながらダンサーとしてミュージシャンとしてご活躍の伊集院史朗⽒を講師にお迎えしました。ユネスコの無形⽂化遺産に登録されているスペインの伝統芸能フラメンコについて、その歴史やエッセンスを実演も交えて教えていただきました。

〈融合〉、〈ハーモニー〉、〈即興性〉、〈共有・共存〉—伊集院⽒が挙げられたキーワードには今の時代にあらためてその⼤切さが実感される⾔葉が並びました。

ご講義はスペインという多⽂化が融合する国の歴史的背景を地図や写真で確かめることから始まりました。海の向こうにアフリカ⼤陸を望み、⽂化形成においてイスラム⽂化の影響を強く受け、15 世紀頃からの⼤航海時代に先鞭をつけた国。そして、遠くインドから⻄へ移動してきたロマ⺠族がたどりついたスペイン南部のアンダルシアで⽣まれた独⾃の⽂化、それがフラメンコです。⻑く迫害されてきたロマの苦難の歴史が根底にある異⾊のアートはスペインという地の多様な⽂化と融合して発展したということです。このことは対照的な⼆つの動画、映画『サクロモンテの丘:ロマの洞窟フラメンコ』(2014) のオフィシャル・トレイラーとアントニオ・ガデス舞踊団『カルメン』公演 (2022) 開催時の予告映像を使ってわかりやすく紹介されました。前者の映画は、アンダルシア地⽅グラナダのサクロモンテの洞窟住居で暮らすロマたちのコミュニティにフラメンコのルーツをたどるドキュメンタリーです。内輪の共同体で発⽣し、発展を遂げたフラメンコは、彼らの「⽣きる糧」であり、それがコミュニティの外にも知られて⼈々を魅了するにつれ、稼ぐための⼿段ともなりました。外の世界へ広まって商業化される⼀⽅、詩⼈ロルカをはじめとするアーティストたちを惹きつけ、芸術的にも進化します。舞台芸術としてのフラメンコを確⽴した中⼼的⼈物アントニオ・ガデスの『カルメン』のように⼤きな劇場でも演じられるアートとなりました。

⽇本は現地スペインについでフラメンコの盛んな国だそうですが、社会の周縁に置かれた⼈々のコミュニティから⽣まれたという事実を初めて知ったという受講⽣は少くありませんでした。また、元々は、歌(カンテ)、踊り(バイレ)、ギターが「三位⼀体となって即興で織りなす」アートだということも意外だったようです。

ご説明の際の伊集院⽒の実演が即興だったこと、そして、⽒が踊り⼿として⽴たれた瞬間にその場の空気が完全に変わったことに「衝撃を受けた」とコメントした受講者もいました。
フラメンコでは共演者や仲間とのハーモニーが⼤切で、共有される空気感を表すのに〈アイレ〉(スペイン語で「空気」や「⾵」の意)という語がよく使われます。観客もこのアイレを共有し、かけ声(ハレオ)とともにハーモニーに加わります。

もうひとつ⼤事な要素がパルマと呼ばれるフラメンコのリズムを打つ⼿拍⼦です。ここで、伊集院⽒がカホンという箱型の打楽器を叩きながらサポートし、受講⽣たちは教わったばかりのパルマに挑戦しました。
かけ合いでパルマを叩くうち、皆だんだん笑顔になり、とても楽しい経験だったという感想が後からいくつも寄せられました。
そんな受講⽣たちの様⼦をご覧になった伊集院⽒が、ふと「拍⼿(かしわで)」に⾔及されたことは印象的でした。イメージとしてはまったく異なるパルマと拍⼿—しかし、⾃分⾃⾝の存在、それを超えた存在、その両⽅とのコミュニケーションに関わるものとしての⼿を打つ⾏為がアーティストのマインドの中で繋がったのでしょうか、〈ハーモニー〉というキーワードの意味がより明確に⽰されたように思います。

伊集院⽒とその場そのときの空気をしっかり共有した受講⽣たちから、いくつかのよい質問が出ました。無形⽂化遺産について学ぶ受講⽣からフラメンコというアートの現在に関わる的を射た質問があり、また、華やかなイメージのフラメンコの⾐装についての質問から発展し、フラメンコの世界では性の多様性が受容されているというお話を聞くこともできました。もっとも記憶に残るご⾃⾝のパフォーマンスは?という質問は、⻑くご活躍されてきたアーティストには難しい質問かと思いましたが、伊集院⽒の深い記憶を刺激したようです。国内外の⼤きな公演にも参加されてきた⽒ですが、ご⾃分のルーツのある⿅児島でのステージを思い出されたとのことで、⼈が⽣きてきた歴史や記憶という神秘的な道のりについて考えさせられる興味深い瞬間でした。

〈共有・共存〉ということをめぐっては、⾃他との関わり⽅において⽇本⼈と異なるヨーロッパの⼈々のメンタリティについて、ご⾃⾝の経験に基づくお話がありました。スペインの⼈々について語られる中、世界⽂学に⼤きな⾜跡を残すセルバンテスに話は及びました。彼は、ヨーロッパの強国だったスペインの栄光とその影の落差が⾒えてきた時代に『ドン・キホーテ』(1605) を著しました。ドン・キホーテは⾃分のファンタジーをリアルと信じて実⼈⽣で実践する⼈物です。伊集院⽒は、ドン・キホーテという主⼈公の、イメージする⼒やイメージを信じる⼒をポジティブなものとして指摘されました。そのような⼒がフラメンコというアートにとって重要だということをアーティストとしてのご経験からも話してくださいました。実際、リアルな世界の歪みに⽬をやれば、ときに「常識」は⽭盾や不合理を抱えた誰かのフィクションに過ぎず、ドン・キホーテのまっすぐな理想を狂気と⽚づけることはできなさそうです。「僕はこれからもドン・キホーテでいきます」と伊集院⽒は笑っておられましたが、その⾔葉は受講⽣たちの⼼に刺さったようです。

この時代のアートとヒューマニティを考える—
これは今学期のイギリス⽂学の授業において提⽰したテーマでした。AI が⼈間に代わって考え、働き、創作もする時代。友⼈や恋⼈、家族に代わって⼈々の拠り所になる時代。AIは⼈間の役割を引き受けるだけでなく、⼈間⾃体に取ってかわれるようです。リアルとヴァーチャル、オリジナルとコピー、本物と偽物との境界はこれまで以上に曖昧です。そうであれば、⼈間であるというのはどういうことなのか、そして「⼈間らしい」営みの結実のひとつとしてのアートとは何なのか、フィールドを広げて⾒てみることにしたのです。
今回の特別授業で、伊集院⽒は、⼼(heart)は⽬に⾒えないけれど、フラメンコ・アーティストにとって⼼⾝両⾯において胸(heart)が⼤事な中⼼だと述べられました。その中⼼から差し出されたポジティブなエネルギーを受講者たちは確実に受け取っていたと思います。さらに、ひとりのアーティストの⾔葉には⼤きな⼒がありました。⼈間は不完全さそのものが魅⼒であることもある、不完全なままでいい、という⽒のメッセージに勇気づけられたという受講者たちが何⼈もいました。最後に伊集院⽒が紹介してくださったのは、パタ・ネグラというバンドの “Yo Me Quedo en Sevilla”の⼀節で、⼈が⼈として⽣きるということを、「意味を超えて」フラメンコ的に表現しているようです。

Canto para sentir que estoy cantando
Y vivo para saber que estoy viviendo

歌っていると感じるために、私は歌う
⽣きていると知るために、私は⽣きる

今ここにある空気を共有でき、⾝体表現や⾳楽と⼀体となったフラメンコというアートについてのお話が⼈間の⽣を歌う⾔葉で締めくくられたことは、⽂学研究者の⽴場として嬉しいことでした。AI は進化しつづけ、⼈間の不完全さも、ある意味、完全に模倣するでしょうし、特に⽂学のような分野では「本物の⼈間」のようなアートを⽣みだしもするでしょう。それでも、数値化の末の最適解は(確率的な必然だとしても)本質的に偶然の産物でしかなく、⼈間の⽣み出すアートが⽣の経験による必然として⼈間の胸に響くのと同じようにはいかないのではないか—と、今のところは、思っています。


(国際コミュニケーション学科教授 澤⽥知⾹⼦)

講師プロフィール:
伊集院 史朗(いじゅういん しろう)ベルギー⽣まれ。
慶應⼤学在学中にフラメンコと出会い、その後、渡⻄を繰り返す。
2001 年、フラメンコ協会新⼈公演にて奨励賞受賞。
2002 年、ギタリストの沖仁⽒らフラメンコ・アーティスト4⼈で「クアトロカミーノ」結成。2005 年の「愛・地球博」スペイン・パビリオンのステージなど国内外の公演に参加。
「題名のない⾳楽会」、「ムジカピッコリーノ」、「タモリ俱楽部」、「EP.6 : Flamenco Travis Japan x OKI JIN」等、メディア出演多数。

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